Drops*

博士3年になりました!ひきつづき研究科での日々あれこれをつづります。

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とるにたらないもの

同じ研究室の子の結婚式にまねかれて,おでかけ。
アットホームな雰囲気で,お料理もおいしくて,良い結婚式だったな。

「とるにたらないもの」
そういえば,江國香織さんは,他者の結婚式を「とるにたらないもの」のひとつにあげていた。招かれるとうれしくて,ちょっぴり面倒だなって思ったりもするけどけっこう楽しみだったりする。当日は,幸せそうな顔をしているふたりに,いかにもありきたりな「おめでとう」の言葉をかけて,ありがちなお祝いの挨拶をきいて,出てくるお料理をどんどんたべて,下手な余興を眺めて,一緒に写真なんかとっちゃったりして,これから新婚旅行なんて大変ねって思ったり,自分は日常に帰れるんだって思ってほっとしたり,でもやっぱり,結婚式って良いねって思ったり・・・といったコメントだったかな。江國さんは。

たぶん私もそう感じている。。。かな。はっきり言って「どうでもいい」,そのくせ,けっこう,「良いね」って思ったりしちゃう。というわけで,写真をアップしちゃうかな。

090704_wedding.jpg
主役の2人と披露宴に招かれたうちの研究室メンバー3人(私を含む)。
おめでとーございまーす。

  ★

ところで,今週末は完全オフを決め込んだので,久しぶりに小説の類などを開いてみた。
読んだ本は,川上弘美さん著「風花」

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    2009/07/06(月) 01:45:22| ことば | トラックバック:0
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思うことを伝えられないもどかしさ

数年前,とある本を読んで,私の中にやりきれない感情がおここった。・・・そして私は,その感情を今も引きずっている。この感情を,なんとか言葉にしようと,試行錯誤しているけれど,今もまだ,「これだ!」という言葉に出会えていない。
(近いだろう言葉には何度か置きかえて説明するも,非難されるばかり・・・)

ウチダタつル先生が,とある本の中で,こんな事を言っていた。

酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』(講談社)を読んでいて思ったのは,ここで言われている「勝ち犬」「負け犬」って両方とも実は同じ社会階層に属している人たちなんだと言うこと ・・・ 略 ・・・ 酒井さんは頭のいい人ですから,ちょっとしたきっかけで事情がころっとかわって,結婚して,子どもを生んで,ということになってしまうかもしれないということはわかっている。だから,どちらかに肩入れして,というイデオロギッシュな書き方はしていません ・・・ 略 ・・・ 「負け犬」と「勝ち犬」の間の「壁」は「壁」じゃないんですよ。行き来可能なんだから。本当の壁は,「勝った負けた」と言っていられる人たちと,そんな話題についていくことさえもできない人たちとの間にある。
(身体知-身体が教えてくれること より)

念のために言っておくけど,やりきれない感情の元となった本は『負け犬の遠吠え』ではない。もっと別の本。でも,ウチダ先生のこの言葉を読んだとき,あ,私の中のやりきれない感情は,これに近い・・・と俄然思った。行き来可能でないがゆえに,どうしようもないくやしさと悲しさ。

でも,著者の方は,気づかないんだろうな。乗り越えられない壁の裾で,もがいている弱者の気持ちには。。。「よい経験ができなかったからダメだ」そういう言い方をされると本当に辛いでしょうねと言いつつ,自分が同じ事をしているということにも。


 もっと,上手に言葉を使えるようになりたい。

    2009/05/19(火) 00:46:20| ことば | トラックバック:0
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Always on the side of the egg

もう,みーんな知っていると思うけど,村上春樹さんが,エルサレム賞を受賞された。そして,その際のスピーチが話題になった.
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

これは私が創作をするときいつでも胸に留めていることです。メモに書き,壁に貼るようなことをしなくても,私の心の壁にくっきりと刻み込まれていることです.
「高くて堅い壁と卵があり、卵が壁にぶつかって割れる。そんなとき,私は常に卵の側に立つ」
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても,私は卵の側に立ちます。何が正しくて、何がまちがっているのかを決めなければならない人もいるのだと思います.でも,それを決めることができるのは,時間か歴史なんじゃないかとおもう。どんな理由があったとしても、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事にどんな価値があるのでしょう?
(一部)

私は,このスピーチを読んだとき,じつは,涙がこぼれたんだ.

私にも小説を書いていた時代があった.私の胸の中にある小穴から見えてしまうものを,物語にのせて語ってきたんだ.不器用にしか生きられない人たち.不器用にしか生きられないがゆえに,壁にぶつかっては傷つき,壊れてしまう.そんな人たちが私の小説のテーマだった.

でも,何かを伝えるための手段は,「物語にのせて語る」ことだけではない.別の記述の仕方もあることを私は知った.その一つが研究だと思ったんだ.研究も同じ.私にとっては,卵の側にたたない研究はあまり価値のないことなんだ.

何が正しくて、何がまちがっているのかをただ明らかにするのではなくて,胸の小穴から見えてしまうものたちを,丁寧に記述していくような研究をしていきたいって,思ったんだ.統計学的な有意確率にだけ頼るような研究ではなくて.
少なくとも,よく考えてデータをとり,誠実に結果を読み,丁寧に考察する,それは基本的なことなのかもしれないけれど,ならばなおさら,基本に忠実でありたいと思ったんだ.


    2009/02/21(土) 08:42:36| ことば | トラックバック:0
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書くことをやめてはいけないよ

年末にであった,哲学博士の先生は,
「小説を書くことをやめてはいけないよ.小説は誰にでもかけるものではないんだ.うまれ育つ中で授かったその力を,すててしまってはいけない」
そんなふうに言っていた.

研究をするようになって,ものの見え方が以前と変わってきてしまっている自分に気づき,研究することと,小説を書くことを両立することはできない,どちらかえらばなきゃ・・・って考えはじめていた私は,「大丈夫,両立できる.むしろ両立させることに意義がある」と言われても,正直とまどいがあった.

けど,「なんのためにそれをするのか」という原点は一緒.
2つの手段を使う・・・今は,少し苦しいけど,書くことをやめてしまわなければそれも可能なんじゃないかって考えた.

    2009/02/21(土) 06:43:45| ことば | トラックバック:0
  1. | コメント:2

アインシュタインは・・・

桃の季節は,もうとっくに終わっているわけだし,p値だけでものをいうのはやめたい。なんでもかんでも多変量解析をするのもやめたい。

アルベルト・アインシュタインだって,「神はサイコロを振らない。自然界には確率などにたよらない確かな法則が存在している」って言ってるんだから。


    2008/11/02(日) 09:25:28| ことば | トラックバック:0
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